東日本大震災から10年 | ひめさゆり訪問マッサージ

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  • ブログ2021.03.12

    2011年3月11日、午後2時46分、東日本大震災が起きました。ちょうどあの時は、いつものように患者さんのお宅でマッサージをしていました。一人暮らしの高齢の女性患者さんで、ずっと僕が担当をさせてもらい、足が不自由だったこともあってベッドに腰掛けながら施術をしていました。施術を初めてしばらくして携帯電話の緊急地震速報がけたたましく鳴りました。

    Aさん、「あれっ!何の音だい?」
    僕、「地震速報です。地震が来るみたいですよ。」

    ちょうどその頃は、地震が頻発していたことで、この地震速報も何度も聞いていたこともあって、「またいつものこと」くらいにしか受け止めておらず、たとえ地震が起きたとしても、然程大きなものにはならないだろうと思っていました。
    しかし、この日の地震は想像を遥かに超える大きなものだったのです。

    「地震です!地震です!地震です!」

    この声が何度かしてから、突然突き上げるような揺れが起きたかと思うと、次に横揺れ、そして縦揺れ、かき回すような揺れが僕とおばあちゃんを襲いました。いつもチャキチャキで元気なおばあちゃんも僕の手をギュと握りながら、「うわぁ、怖いよー、怖いよー」と震えていました。僕はこの方の後ろ側から肩を揉んでいたので、後ろから覆いかぶさるように支えていたので、この方の恐怖に震える様がとてもよく伝わってきたのを、今でも鮮明に覚えています。

     一瞬揺れがおさまったので、これで終わるかと思った途端、またもや激しい揺れに襲われ、電気の傘は大きく揺れ、仏壇や食器棚、サイドボードが目の前で激しく揺れながら一気に倒れました。億の部屋でも何か大きな物が倒れる音がしていました。それはとても長く感じ、もうこの世の終わりだと本気で思いました。一瞬頭をよぎったのは、このまま家が倒壊し、このおばあちゃんと一緒に死んでしまうかもしれないということ。それとともに家族との記憶や、周りの人達との思い出が一気に頭の中を駆け巡り、最後の最後まで目の前の患者さんを守り、治療家として天命を全うしようと思っていました。
     ようやく激しい揺れがおさまり我に返ると、目の前には物凄い惨状が広がっていました。おかげさまで、僕とおばあちゃんがいたベッドの周りには倒れてくるような物はなく、一番安全な場所だったこともって、怪我もなく無事だったことが幸いでした。おばあちゃんもいつものようにチャキチャキに戻り、ホット一安心はしたものの、目の前に広がる光景に二人で唖然としていたのを覚えています。

     家の外に出てみると、さっきまで晴れていたのが嘘のように激しい雪、しかも横殴りの吹雪になっていて、また辺りを見渡すと、マンホールは地面から数十センチくらいまで浮き上がり、地面はあちこちが割れて段差ができています。遠くでは緊急車両のサイレンの音が聞こえ、大変な事態が起きたのだなと思いました。携帯で会社や自宅へ連絡をしても既に不通状態。業務中であったこともあり、一旦会社に戻ることにしました。会社に戻ってすぐ、緊急事態ということで帰宅するよう指示があり急いで帰宅すると、家族は怪我もなく無事でしたがもうパニック状態。家の中は見るも無残な姿になっていて、ありとあらゆる物が散乱し、足の踏み場が無い状態になっていました。

    丁度この日の朝、出かけ際に「いいかい、地震がきたときには、必ずテーブルの下にもぐって、まずは頭や自分の体を守ってね」と伝えて出勤したのです。これが虫の知らせだったのかも知れません。結果地震が起きてすぐにテーブルの下に身を隠し、難を逃れられたのです。

    この震災で多くの尊い命が奪われました。そして、揺れ、津波、原発事故、風評被害という四十の災害を経験し、体と心に大きな傷を負いました。僕もしばらくは心が折れてしまい、何かをしていても心ここに在らずの日々が続きました。ポッキリと心が折れてしまい、回復するまでには沢山の時間を要しました。

    先日の福島県沖地震では、またあの時のようなことが起きるのではないかと、とても恐ろしくなりました。と共にあの大震災の記憶が薄れていることにも気付かされ、地震の巣の上に日本列島はある訳ですから、日頃から、防災、現在の知識を入れて備える必要があるなと、改めて再認識させられました。

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